静かで、それでいて淑やかな時間を、一冊の本を通して読み手の想いとともにお届けするシリーズ。
今回ご紹介するのは、窪美澄著の『金木犀のベランダ』(『いるいいないみらい』所収)です。
【目次】
・プロローグ
・金木犀の香りを嗅ぐと思い出す、主人公の生い立ち
・何かを選択するときには、「じゃないほう」を捨てている
・エピローグ
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産休に入る少し前に、文庫本を何冊か買った。
主に小説。めくり皺や指の跡がほとんどついていない綺麗な状態のままで、ダイニングテーブルのすぐ横にある小さな木製のキャビネットに収められたままだ。
女性が主人公の、何気ない生活のなかの一部を切り取って、その中で悩み揺れる感情を細かく描いた、そして物語の最後に明確な答えは書かれない典型的な現代小説のような話が好きだ。“本の虫”というほど本好きではないとは思うのだけど、ほぼ毎日本を読む。場所は決まって、浴室。5分の日もあれば1時間の日もあるけれど、タオルと一緒に一冊浴室に持ち込んで、ほぼ毎日湯船に浸かって本を読む。
ただしそれは、約10ヶ月前までの話。
娘の美桜が生まれてからは、落ち着いて本を読む時間を見つけられていない。
出産までの約1ヶ月半。生まれてくる赤ちゃんのために心と体を整えておく期間は、これまで休みなく働いてきた自分にはきっとすごく暇に違いない。それに出産後、小さな子どもを連れて本屋に行くのは難しいかもしれないし、子どものお昼寝の時間はきっと暇を持て余すだろうと、いつもよりも大きな本屋に足を運び、じっくり選んで買ったのだが、結果的に2週間と少し早く生まれてきたせっかちな娘のせいで、産休中に読むことができたのは、長編小説を半分と、SNSでやたらと話題になっていたブロガー出身の作家のエッセイ本だけだった。
美桜が生まれてからの数ヶ月は、赤ちゃんと暮らす生活のリズムをなかなか掴めず苦労した。真夜中に何度も起こされ、まとまった睡眠は長くても2時間くらい。初対面(?)からわずかな期間で、この生活がこの先いつまで続くのだろうと心が折れそうになって、寝起きの美桜の顔を見た途端、理由もなく涙が溢れたこともあったけれど、最近は彼女と私のペースが徐々に合わさりつつある。ほんの少し、前より長く寝てくれるようになった美桜のそばを離れて、リビングのソファに座って一息つく、なんてこともできるようになってきた。
とはいえ、Netflixで映画でも見ようかな……というのは、まだ私には贅沢な望みのようだ。主要な登場人物の名前と、それぞれの関係性がまだはっきりしない段階で、おそらく美桜は目を覚ますだろうし、映画を一本見終わったあとの感情を反芻できるくらい長い時間美桜が眠ってしまったら今度は夜に寝てくれなくなるから、それはそれで困る。
でも今日は、寝かしつけ開始からわずかな時間で美桜がすんなり寝てくれた。朝早く起こして、昼寝までの時間を長くしたからだろうか。そろりと側を離れてみたけれど、すやすやと眠ったままだ。
時計を見ると、長い針がまもなく真上を指すところ。突然手に入った自由な時間。そうだ、出産祝いでもらったデカフェのティーバッグがあったっけ。電気ケトルに水を入れ、沸くのを待つ。
キャビネットに並んだ小説たちのなかから数冊を手に取り、裏表紙の内容紹介をサラッと読んでから、5つの短編から成る窪美澄(くぼみすみ)の『いるいないみらい』以外をキャビネットに戻した。今は短編がちょうどいい。もし美桜が目覚めても、1話くらいなら読み終えられるかもしれないから。
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『いるいないみらい』の5つめに収録された『金木犀のベランダ』の主人公は、夫とともに「子羊堂」というパン屋を営むパン職人の女性。外壁に蔦が絡まる築50年を過ぎた木造二階建ての住宅を、店舗兼住宅に改装して住んでいる。仕込みのために朝4時に起き、1日15時間以上働くことは43歳の二人にとって年々辛くなってはいるが、1番の人気商品であるメロンパンを買ってくれるお客さんお顔を見れば疲れが吹き飛び、自分たちの作ったパンでお客さんが喜んでくれることが自分たちの喜びだと語るなど、主人公の、パンやパンを買ってくれるお客さんへの想いが伝わってくる。
「ベランダ」と呼ぶと夫の栄太郎に指摘されるという2階の「物干し台」に上がり洗濯物を取り入れる場面では、「屋根の向こうに銭湯の高い煙突が見える」や「隣の家からシチュ-の香りがする」、「どこかの家から子供を叱る大きな声がする」とある。適度な都会の街なかに「子羊堂」はあって、平凡で大きな変化はないけれどあたたかな日常を送っている主人公の日々がイメージできる。
「あ、この香り」と、どこかから香ってきた金木犀の香りに気付き、主人公は深呼吸をする。「金木犀」という文字を見るだけで、なんとなく自分も金木犀の香りを嗅いだような気持ちになるのが不思議。
その香りを嗅ぐと、胸のあたりが切なくなる。けれど、私が育った施設には、金木犀の木などなかった。
主人公は生まれてすぐ乳児院の前に捨てられ、18歳になるまで施設で育ったため、両親の顔を知らない。冒頭から、ごく平凡な日常のなかにある素朴な生活が描かれていて、物語が終わるまでこの素朴な雰囲気は続くのだろうと思っていたから、唐突に出てきた「施設」という言葉に少し驚く。「いろんな経験をした。もちろん、いいことじゃないことの方が多かった」という主人公の生い立ちと「パン屋さん」というシーンの対比に引き込まれる。
「それでも思うのだ。栄太郎という人と巡り会って家族になれた。パン屋さん、という子どものころの夢を叶えることができたのは、奇跡みたいなことだと。」と続き、主人公が施設を出てからのことや、「おとなしい同僚」として認識していたのちに夫となる栄太郎との馴れ初めや同棲を始めるまでのこと、「パンおたくという接点で私たちはお互いの世界に近づいた。」と読み進めているうちに、パンを食べながらにっこりと笑い合う夫婦像がイメージできてほっこりとした気持ちになる。
33歳で主人公と栄太郎は結婚し、「子羊堂」をオープンする。こだわりの詰まった子羊堂のパンは、最初の頃は売れ残ってばかりだったが、ある人気ブログでメロンパンが紹介されたことから「子羊堂」は行列ができるほど人気のお店になる。
順風満帆な日々を送る主人公が38歳になったとき、主人公は栄太郎が抱えていたもう一つの大きな夢を知る。
「そろそろさ、さ……」
「僕たち」
「子どもがいてもよくないだろうか」
主人公は答えを濁す。子どもを持つ、ということに完全に同意したわけではないものの、その日を境に二人は自然に子どもを授かるのを待った。しかし、授からないまま二人は43歳になる。すでに主人公の中では「子どもを持たない、という人生を生きていく」と決着がついていたが、栄太郎は違った。以前から栄太郎が、子どもや子連れのお客さんには特にニコニコしていることに長らく気づいていたが、“考えないようにしていた”とある。
あぁ私にも、心当たりがあるなぁ。人生のどこかで“子どもを持つこと”をなんとなく想像してはいたけれど、じゃぁそれがいつなのか、と聞かれれば、子どもを持つ前の自分は答られなかったと思う。仕事が楽しかったし、重要なポジションではないけれど「チーフ」という肩書きをもらって何人かの後輩も育ててきた自分が、仕事を中断し、数ヶ月ないし数年の間、育児だけに専念する自分を想像できなかった。ピンと来なかった。
それでも子どもを持ったのは、「プレッシャーに後押しされた」が正しい。夫は当たり前のように子どもを持つつもりだったようだし、夫の両親も、私の両親も当然そのつもりだったようだ。結婚して1年ほど経った頃からの、家族からの地味なプレッシャーは苦しかった。主人公のように、夫が夫の甥や姪と接している姿を見てなんとなく目を逸らしたい気持ちになったのを覚えている。「結婚したら当然子どもを持つ」という世間一般の選択肢ではないほうの選択肢を何がなんでも貫きたい!という強い信念があるわけでもなかったし、年齢とか、周りの友人がみんな子どもを産んだりしたことが、結果的に私が子どもを持つに至る理由だったと思う。
「産む」「産まない」の選択を、みんなはいつするのだろう。先に授かった場合は別として、どの段階で、「子どもを持つ」と決断できるのだろう。結婚なら何回でもやり直しができる。でも、子どもを持つと一生“お母さん”になるし、生まれてきた子供は一生自分の子どもになる。母親ではない自分には二度と戻れない。離婚のように、うまくいかなかったので仕切り直し、というわけにもいかない。
美桜を産んだ今、子どもを持ったことに全く後悔はないけれど、美桜を産む前の私には「産まない」という選択肢も確実にあったと思う。
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この話は、施設で育った主人公の生い立ちや、子どもを持つかどうかに悩む主人公の心の葛藤を描写したものだと思っていたのだけど、後半、主人公の感情が大きく揺さぶられる出来事が起こる。
主人公と栄太郎が、栄太郎の先輩の家を訪れたときのこと。
「通されたリビングは、まさに小さな子供がいる家族の一部屋だった。散らばったブロック、パズルのピース、原色のサッカーボール。色が目に刺さるようだ」
おむつを履いた小さな男の子が、小さな怪獣のように家の中を走り回っている情景が眼に浮かぶ。栄太郎の先輩・村松さんの奥さんも元はパン職人だが、子どもに時間を取られるので今は専業主婦として子育てに専念している。リアルな“子どもがいる生活”を体験した主人公は、「自分には子育ては無理」と確信する。
子どもが寝たあと、パン屋の経営の話などやっと大人同士の話ができるようになったとき、村松さんから唐突に「息子が養子である」と伝えられる。栄太郎は、村松さんの子どもが養子であることを知っていて主人公を連れて行ったようだ。
自宅で向き合う二人。「そういう方法(養子)もあるかな、と思って。」という栄太郎に、「血のつながっていない子供」であることがどういうことか主人公は声を荒げて諭す。「血の繋がりなんて、そんなに大きなものだろうか」と問う栄太郎。さらに栄太郎は、養子縁組に関する資料をテーブルの上に置き、「今すぐ決めて欲しいとは言わないが考えて欲しい」と言う。
施設で育った子は、里親に選ばれると施設を出ていく。言い換えれば、その背後には選ばれない子もいる。そして主人公は後者の、「私はずっと選ばれなかった」子だという。だからこそ、「誰かひとりをえらぶことなんでてきない」のだと。選ばれた子の後ろには、選ばれなかった子供が存在するから。
血のつながりを感じることなく生きてきた主人公に対し、栄太郎からの「血のつながりはそれほど大切なのか」という問い。平行線。答えを出すのはあまりにも難しい。ひとつの選択肢の裏には、必ず「じゃない方」の選択肢がある。どちらかを選ぶと、どちらかを放棄しなければならない。みんな、何かを選択するときには、「じゃない方」の選択肢を捨てている。
みぞおちあたりが少し窮屈になって、ふぅっと息が漏れた。
*
「えーん……」という控えめな声が聞こえて、はっとする。
美桜が目を覚ましたみたいだ。時計の長い針は、あと10分ほどで再び真上を指す。
最後の一文まで辿り着くことができた。本を閉じるて、ふぅーーーーーっと長い息を吐いた。この感じ、なんだか久しぶり。
結局、主人公と栄太郎が子どもを持ったのか、迎え入れたのか、それとも今まで通り二人で人生を歩んでいったのかは描かれていなかった。
「まだ、僕と一緒にパンを作ってくれますか。」
「うん」
「よかった……」
(中略)
未来は不確定だ。確かなのは今の気持ちだけで、それが今、二人で確認できたのなら、それでもう十分だろうと、そう思った。
立ち上がる前に、コーヒーをひとくち飲んだ。冷めているけれどとても美味しい。
この時間は、私にとって大切なもの。子どもを産む前も産んだあとも、それが変わらないことに安心した。
明日また美桜がすんなり寝てくれたなら、今度は別の話を読もう。また最後まで読み切れるだろうから。
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