静かで、それでいて淑やかな時間を、一冊の本を通して読み手の想いととともにお届けするシリーズ。
今回ご紹介するのは、群ようこ著の『子のいない夫婦とネコ』です。
【目次】
・プロローグ
・『子のない夫婦とネコ』
・『男やもめと犬』
・エピローグ
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息子がもうすぐ家を出る。就職して数ヶ月経ち、精神的にも経済的にも余裕ができたのか、「一人暮らしをしたい」と言い出したからだ。
家のことを何もしない・できないような男には育てまいと、特に家の中のことに関しては甘やかさずに育ててきたつもりだ。部屋の片付けは自分でさせる、自分の使った食器は必ず自分で洗う、シーツは週末の朝に洗濯機に入れる(酔って帰ってきてそのまま寝た日は翌日!)、火曜と金曜の燃えるゴミの日は彼の担当。実際、嫌な顔をすることなく、これまで母親を助けながら頼りになる男に育ってくれた。
一人暮らしをするにあたって、一緒に暮らしているイヌの「おもち」と離れることだけが唯一の心配だという。
いやいや、おもちの朝晩の散歩も、病院に連れていくのも、2週間に1回のシャンプーと換毛期の家中に舞う抜け毛の掃除も、これまでおもちの世話をしてきたのは私なんですけど。あと、嘘でも母の心配もしてちょうだい。
子育ての終わりが見えてきたころから、ときおり頭のなかでふっと浮かんでは消え、その度に胸の真ん中あたりがぐぅぅっとゆるい力で掴まれているような感覚になることがあった。
息子が家を出たあと、おもちとふたり(1人と1匹)で暮らしていくことを考えると、漠然とした不安に襲われた。それに「おもち」だってもう12歳。人間の年齢で言えば後期高齢者だろう。幸い今はまだ元気で足腰もしっかりしているけれど、あと数年で別れがやってくる。そうなったら、いよいよ私はひとりになる……。
とはいえ、元来明るい性格の自分。先の心配をしてモヤモヤしている今の気分をガラッと変えるヒントはないかと、本屋に立ち寄り、
「今日も楽しかったね、よかったね。」
と書かれた帯の文章が目に入ったので手に取った。
裏表紙のあらすじには、
「結婚と同時に子ネコと暮らしはじめた夫婦。」
「熟年離婚した男やもめと思いがけず拾ったイヌとの、ドタバタで温かい日々。
「ネコを5匹も引き取ってしまった母に振り回される娘。」
「『老いとペット』を明るく描く連載小説」
と書かれている。
ここ最近の「老い」に対して悲観的かつ否定的な自分とは正反対の、「老い」を明るく描いたという『子のいない夫婦とネコ』。
帰宅し、簡単に夕食を済ませたあと、買った本を鞄から出した。
日が暮れたとはいえ、蒸し暑くて部屋のなかは熱気がこもっている。いただきもののコーヒーを少し濃いめに淹れ、たっぷりの氷を入れたグラスに勢いよく注ぐ。
*
『子のない夫婦とネコ』に登場するモトコとツヨシは、結婚して39年。大学で出会い、27歳で結婚。結婚前、娘の交際相手を紹介しろとうるさい両親にモトコは、ツヨシの家族構成を「ご両親と妹のネコのマメちゃん」と説明した。結婚するとき、マメちゃんと離れること辛くて悩んでいたツヨシだったが、偶然にも白黒柄の子ネコ「トンちゃん」に出会い、2人と1匹の生活がはじまる。
夕方6時半には家に帰ってくるツヨシといっしょに、夕食を食べながらまず話すのは、「今日のトン子ちゃん」についてだった。
息子とおもちと私、2人と一匹で暮らしてきた私たちも「今日のおもち」で盛り上がる瞬間がたくさんあった。思春期の息子も、おもちの話になると積極的に私と話してくれたものだ。
夫婦が庭つき一戸建てを購入したころ、さらに子ネコ2匹が加わるが、16歳半でトン子ちゃんが亡くなり、その数年後には、子ネコだったうちの1匹「カクちゃん」が、また1年後にはもう1匹の「スケちゃん」が亡くなるなど、動物と暮らしていると避けては通ることのできないシーンもある。
人間より命の短い動物たちを飼う以上、別れが早くやってくるのはわかっているつもりでも辛いし、ときには人の死よりも悲しみは直接的だ。
しかし、読んでいる方が悲しみに浸っている間も無く、ユーモラスなシーンがやってくる。
モトコは職場の先輩から、“とにかくイヌやネコが大嫌いで、これまで何匹も保健所に連れて行ったと自ら吹聴している男性社員”の話を聞き、職場で彼とすれ違うたびに背後から「悪いことが起きますように……」と何度も念を送り続ける。すると男性社員は本当に階段から足を踏み外したり自転車に当て逃げされたりした。男性社員の噂をモトコに告げた先輩も、「念、聞いてるね」と小声でいってクスッと笑う。
モトコが念じるのをやめても、
それでもモトコの怒りのパワーほうが勝ったのか、(中略)天ぷら油で火傷をしたり、(中略))荷物の生理中に棚の角で頭を打って三針縫ったりと、ちょこちょこと彼は痛めつけられた。
大の大人が「念」なんて、と読んでいるこちらもクスッと笑ってしまった。
*
2話目の『男やもめと犬』に登場するコウジは、元妻から離婚を突きつけられた60歳の男性。元妻は仕事ができて英語も堪能で自分より収入も多かったため、生活費や家を購入するときの持ち出しの割合、家族計画、息子の教育方針、離婚の際の取り決めもすべて、妻主導だった。
そんな結婚生活が終わり、
公園のベンチで夕陽を眺めながら缶ビールを飲んでいた。ここでは「この人、ぼーっとして変だわ。不審者がいるって通報したほうがいいかしら」という目で見てくる奥様方はいない。それどころか、「いいねえ、最高だね」と見知らぬおじさんやおばさんが声をかけてくれたりする。
といった、以前とは異なる住環境の街に移り住んで5年。会社を早期退職をして半年ほど経ったある日、公園の植え込みから突如現れたイヌがアパートまでついてくる。
「かわいい子だねぇ。飼えば」
「お腹もすかせていたんじゃない?」
「これも縁だからさ、飼ってあげればいいんじゃない」
「多少吠えるのはしょうがないさ、隣のじいさんは耳が遠いから平気だよ」
「ちゃんと居場所を作ってやりなよ。バスタオルをたたんだものでもいいからさ」
ちゃきちゃきとした大家さんの言葉は、冒頭の元妻との生活が描かれたシーンとは対照的で、下町の人たちの温かさや距離の近さが感じられどこか懐かしく心地いい。
大家さんに「ラン」と名付けられ、イヌはコウジと暮らしはじめるが、直後に訪れた動物病院で「妊娠している」と聞かされる。
何気なく読んでいた私も、この展開にはびっくりだ。子育てを経験した身として(人ではあるが)、60歳でイヌと暮らしはじめて、その上これからイヌが子どもを産むなんて「大丈夫なの?!」と心配をしたと同時に、何もかも元妻の言いなりで何十年生きてきたコウジに対し「あんたにゃ無理だよ!」と心の中で強めに突っ込んでしまった。
困った話になったが、大家さんに相談すると、
「あら、めでたい。(中略)ここで飼えばいいじゃない」
と言われ、生まれたら責任を持って里親を探してくれるとも言ってくれた。生まれた子犬は1匹を残して無事里親の元に巣立ち、1人と2匹の新生活がスタートする。
妊娠中のランを心配するあまりに動物病院に頻繁に通い、出産が近づくと心配で眠れず、ランのためにピンク色のリードを新調しキャリーケースも買うなど、ランが来てからのコウジの行動は、元妻やム息子との生活ではけして行わなかったことばかり。
自分は別れた妻が出産したときに、こんなに心配しただろうか。
別れた息子にこんなに一生懸命におもちゃを選んでやった記憶がない。
元妻に『大変だったね、ゆっくり寝なさい』なんて言葉は言わなかった。
ときどき過去を思い出しながらも、「この子たちのためにも、自分はもうひとがんばりしなくちゃという気持ちになってきた」と、スマホでアルバイト情報を検索し再就職を考えはじめる。
*
全部で5つの話はどれも、思わず顔がにっこりしたり、クスッと笑ってしたりするような内容だ。
60代の姉妹が暮らす家にネコ2匹がふらりとやってくる『中年姉妹とネコ』では、妹のヒトミが買ってきた猫のおもちゃ持って、日中家のなかを走り回っていると聞いて
「そんな姿を近所の人に見られたら、大変ね。あそこの未婚の中年女が妙なことになっているって」
と言ってみたり、そんな妹をからかったことを忘れて姉のヒロミも
あはははと大はしゃぎしながら、家中を走り回って遊んでしまった。こんな有様では(中略)不気味な姉妹だと噂されてしまうだろう
だったりと、似たもの同士の姉妹の日々が伺える。
しっかり者の姉・ヒロミに比べいつまでも妹気質のヒトミはネコたちを甘やかしているうちに、2匹の猫は体重5キロを超える巨体になる。
「5キロ以上って言ったら、お米の大きな袋くらいでしょう。それは重いわよねぇ」
「米袋は可愛くないけれど、ネコは可愛いからいいよね」
などと、中身のない、けれどほっこりする会話が続く。本当に近所の人に見られていないだろうか、と物語とわかっていても読者の私はちょっと心配になった。
『老母と5匹のおネコさま』では、急逝した夫の葬式のあと、息子と娘を前にして
「あーあ、ほっとした」
「私は騙されたのよ、19歳のときにいい寄られて、子供を作らされちゃって。」
と言い放ち、
「あとは私の天下だから。あー。すっきりした」
と嬉しそうに話す70代の母親が登場する。
夫の前では従順な妻を演じ続けていた母の豹変ぶりに驚く子供達。その後、母親は突然5匹の子ネコを飼い始め、高級なおやつを買い与え、3万円もする爪研ぎを3つも買い、娘が特に経済的な面でしつこく連絡を入れると、20キロ入りの米袋に詰まった50年分のへそくり(1匹あたり200万円使えるそうだ)を見せる。これまで父親を、ある意味騙し続けていた自由奔放な母親の描写に、おそらく私と同じ世代であろう娘の気持ちを想像し、読めば読むほどイライラした。
最初こそ母の行動に口を出し、様子を伺うために実家に足を運んでいた娘も、そのうちかわいいネコたちが目当てで実家に通うようになる。
実家に通い出して何度目かの帰り道にふと娘は
「ネコ、かわいいからなぁ」
とつ独り言をつぶやき、ネコの寿命を20年と計算し、母親がその頃90歳という年齢になることを考え、
「これからは旅行は諦めて、ネコ貯金をはじめるしかないな」
と苦笑する。結局、家族には弱いのだ。
読みながら、母親の一挙手一投足にイライラさせられていた私も、このシーンは妙に納得した。
最後に収録されている『歳の差夫婦とイヌとネコ』は、60代後半の妻・サトコと、40代後半の夫・オサムが登場する。夫と離婚後に通い始めた近所のスポーツジムで働くオサムは、
まるで小学校低学年の子供がそのまま中年になったようだ。
というほど泣き虫で、それでいて動物好き。テレビでかわいい動物の番組が始まればニコニコして観る。そして悲しい動物の話が流れると号泣する。
ある日、近所のおばあさんが施設に入るからと、イヌのタロウを譲り受ける。タロウを可愛がっていたお婆さんは、別れの日、泣きながらタロウに謝り「かわいがってもらうんだよ」と声をかけたが、その横でオサムが「ひいーっ」と泣き出し、
子供のようにしゃくりあげはじめたものだから、それまで泣いていたおばあさんの方がびっくりしていた。
とある。その後、野良猫・ハナコも夫婦の家族に加わるが、ことあるごとにオサムは泣いた。タロウとハナコが家に来てくれたということが嬉しいというだけ大泣きする。
ちょっとしつこいような気もするが、これだけ純粋に感情表現ができて溢れんばかりの愛情をタロウとハナコに注いでいるオサムのそばで老後を過ごしているサトコのことが羨ましい。
晩御飯の席。
「今日はタロちゃんやハナちゃんはどうしてたの」
と聞いてきた。日中のことを話すと、パッと顔が明るくなり、嬉しそうな顔をして聞いていた。(中略)タロウとハナコのほうを見て、
「今日も楽しかったね、よかったね」
と声をかけた。
*
カラン、と氷の音がする。グラスの真ん中から下のあたりに、たくさんの水滴がついている。
少し薄くなったコーヒーを飲み干して、この先の自分の人生を想像する。
子育ての終わりをゴールと考え、飼い犬の最後を看取ればもう何も残らないのではないかと恐れていたけれど、残りの人生が孤独とは限らないし、この本に登場した人たちのように思いがけない出会いから新しい生活が始まる可能性も大いにある。
今日も楽しかったね、よかったね。と、声をかける日がやってくるかもしれないと考えると、息子がいなくなったあとの家や、いつかおもちが旅立ったあとの生活を考えて、今からそう悲観する必要はないのだろう。
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カフェオレやアイスコーヒーにもおすすめです。